交差点に立っている

田舎暮らしをしているフェミニストがたまに書くなにか

女性たちと働く


2月まで働いていた地域の食堂にやっとエプロンを返しに行った。
そこは農産物や加工品の直売やうどんなどを提供する小さな食堂にコンビニも併設されている施設で、移住前の準備から昼食に利用していた場所だ。

2年前の移住後、自宅にオープンしようと準備していた小さなお店の構想が一旦無くなって、しばらくバイトでもしようかと考えていた時、その食堂で人が足りていないから働けないかと声が掛かった。
実は、移住して何度か食事に行った時に「ここで働く女性たちの中に入ってみたいな...」と漠然と考えていたことがあったのだ。

60~70代の女性たちがメインで働く地域の食堂。
どんな風に暮らし、コミュニケーションを取り、地域とつながっているのだろう。
これから自分が暮らす場所の女性たちのことを知りたかった。
思いがけずありがたい話をもらって約1年半、働いた。

辞めると伝えてから2か月の間、一緒に入るパートナー(2人体制を取っている)が代わるがわる「本当に辞めちゃうの?」「もう少しおってよ」と声を掛けてくれる。
ありがたくて、切ない気持ちになりながら「うれしいです」「すみません」と返し続けるしかなかった。

今も変わらず人は足りないので、彼女たちに揉まれながらうどんを作りたい方募集中。
社長にも仲間にもはっきりと意見を言う気持ちの良い女性たちが今日も地域を支えている。

春の兆し

我が子2人がインフルエンザに掛かり、家に籠って過ごすこと約一週間。

療養期間が明けない内から熱も下がって3日経過している元気な保育園児と、近所を少しだけ散歩した。
こういう時、田舎だと誰にも会わずに散歩できるからいい。

一足先にお出かけできる姉が自転車でコンビニに出掛けるのをいいなぁ...と見つめていたけれど、川沿いのあぜ道(川と田んぼの間にある道もあぜ道と呼ぶのだろうか)を歩き始めたら、
「あそこに洞窟があるんよ、おかあさん知ってた?」
「この後なにをおやつに食べるか休憩する時に考えよっか」
と話をしながらずんずん進んでいく。

目の前の山からは木の枝が擦れる音と鹿の鳴き声。
川の流れが穏やかで、午後3時の太陽が反射して眩しい。
温かい風が通り抜けていく。

イヌフグリの花が咲いた。
ユキノシタの小さい葉が湧き水の近くに茂り始めている。
ヘビイチゴの葉が水路の端で今にもランナーを伸ばそうとしている。
そんな春の兆しが嬉しい。

県北の寒の戻りは厳しい。それでも、束の間の暖かさがもたらす心地の良い空気を肌に受けると、やっと冬を越えたんだと安堵のため息をついた。

おやつはおにぎりに決まった。

 

1995年1月17日5時46分52秒

※2021年1月17日のnoteより転載

ミシミシ...という音が遠くの方から聞こえてくる。
すると家族の誰か(おそらく母)が、「地震!」と叫ぶ声が聞こえた。
上を向いたままパチッと目を開けると天井の蛍光灯が振り子時計のように揺れていた。

隣に寝ていた兄がバサッと布団に潜りこむのが横目で見えて、すぐに自分も同じようにした。

ガタガタガタガタガタ...という音はいつの間にか
ガタンガタンガタンガタンガタンガタン...という大きな揺れを表す音に変わっている。

布団に潜って小さく身体を丸めていたからなのか、体感した揺れがどんなものであったのかよく分からない(もしくは思い出せない)が、ぎゅっと目を瞑った暗闇の中で家が軋む音と家中のものが揺れたり落ちたりする音が合奏していた。
本のようなものが複数同時にドサドサと勢いよく落ちる音を聞いて「あっ」と思ってすぐ、揺れは収まった。

数秒間のとても静かな時間があった。
そーっと布団から顔を出すと既に立ち上がっていた母が私に気付いて、
「大丈夫やから、寝とき。」と言った。
なにが起こったのかよくわからないが、母に言われるまま布団に潜っていたら、いつのまにか眠っていた。
ふと目が覚めて、ばっと起き上がりテレビを付けたまま新聞(当日の朝刊か?届いていたのか?)を読んでいる母の横に立つと、そこから隣の部屋にある自分の本棚が見えて、収めていたはずのピアノの教本や楽譜類が全て落ちていた。
この音だったのか、みたいなことをぼんやり考えていると、母が、
「今日学校休みになったから。」と言った。
その言葉をなんとなく受け取って、同じ場所に突っ立ったままテレビの画面をぼーっと観ていた。左上に表示される時刻は7時を過ぎたころだった。


震災当日の記憶はここまでで、翌日にはもう登校して教室に入ったら全員分の椅子と机が3,40㎝程度ズレていたのを皆で元の位置に戻したこと、ベルマーク箱が落下して中身が散乱しているのをじっと見つめたこと。こんな記憶が記録映像のように頭に映し出される。

大阪市内でも被害の小さいエリアで、日常に戻るのがとても早かったと思う。被害の大きかった大阪や兵庫の映像を初めて観た時はただただ驚いた。同じ地震が招いたことだとは想像もつかなかった。
当時はとても受け止めきれなくて、また同じことが起こったらやだな。
次にもう一回揺れたら家が壊れるのかな。などと考えて不安だった。

蛍光灯の揺れ方
痛いくらいに目を瞑っていたこと
布団から出た時のひんやりした畳の感触
母の新聞を読む姿勢
窓から射す光で明るい、青みがかった部屋
ズレた机と椅子
床に落ちたベルマーク箱

自分がいつか忘れてしまわないように、記録しておく。
我が家に被害が無かったのはただの偶然。
あの時、大切な誰かを失った人がたくさんいることを
当時7歳の私はなにも考えられなかったかもしれないけれど、
今の私は考え、学び、実行することができる。

阪神淡路大震災東日本大震災
二つの震災が伝えていることは同じ大地震でも違うところがあるように思う。
それぞれの震災から何を学び、何に生かしてきたか。
被災者の声は聞こえているのか。
考える度に、暗闇にいるような気持ちになる。

 

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2024年1月17日追記

被災し、安全と安心からほど遠いところで今も過ごしている人たちのことを思う。

能登の震災は過去の大地震による災害の教訓を生かすことができているのか、疑ってしまうような状況が聞こえてくる。
差別、性被害、ヘイトスピーチが無くならない日本の避難所が安全なわけがない。
女性、こども、外国人、在日コリアン、障害者の声をもっと意識して聞く必要があるのに、大きな強者たちの声にかき消されてしまう。
未だに生理用ナプキンのことでもめて、日本語以外の案内が少なく、こどもの泣き声に眉をひそめる人がいる。
そもそもプライバシーが確保されている避難所自体がまだまだ少ない。

まずは今自分が住む自治体に働きかけることはできないだろうか。エリアごとに必要な対策も違うのはないだろうか。と、ちょっと考え込んでしまう。
地元の議員、自治会、集落、民生委員、など相談できる人を思い浮かべてみる。

 

大きな地震は寒い時期に起こることが多いらしい...

news.yahoo.co.jp

 

寒さ対策に合わせて、
山、川が近い、家の状態、車で出かけることが多い、など田舎暮らしだからこそ起こりうることが考慮されているだろうかと不安な点も出てきた。
我が家の備蓄についても改めて考えなければ...。

「広島同人誌あいだ」6号に寄稿しました

ご縁があって、今年の2月から通い続けている「加納実紀代資料室サゴリ」

◎加納実紀代資料室サゴリ
https://sagori-kanomikiyo-library.jimdofree.com/%E3%81.../

主宰の高雄きくえさんの持つテーマと、加納実紀代さんが鋭い「問い」を立てて熱心に進めてこられたテーマそれぞれが、私の心を掴み、今日までの活動を強く導いてくれました。

サゴリや高雄さんとの出会いによって得た、

「日本のフェミニズム在日コリアン女性たちを置き去りにしていないか?」

という気付きは私の活動において非常に重要な出来事でした。
現在までの女性たちの運動を否定するものでは勿論ありません。
ただ、省みることが必要だという視点はたぶん、一般に受け入れられにくいだろうと思います。
在日コリアン女性と対面した時の「日本の加害」「日本の植民地主義」による日本人としての「居心地の悪さ」を乗り越えること。
在日コリアンフェミニストによる日本のフェミニズム批判を受け入れること。
難しいことだと理解していますが、それでも少しずつ解きほぐしていきたくて、自分なりに動き始めているところです。


タイトルの件ですが、
高雄さんが6年前から年に一度発刊されている「広島同人誌あいだ」の6号に寄稿しました。

www.chugoku-np.co.jp


「エリコさんは言葉を持っているから、ちゃんと文章にすると良いよ」と高雄さんが言ってくれて、テーマもフェミニズムに限らず自由だということで、『私と「わたし」のあいだ』というタイトルで7,000字強の文章を書いてみました。

私がフェミニズムや女性学を学び始めるきっかけや軸となる経験があり、その歴史が現在の私の思想や活動に繋がっています。
ただ、その歴史はトラウマの連続でもあったので、30歳を過ぎてもなかなか向き合えず、きちんと整理できずにいました。

現在の「私」と過去の「わたし」のあいだにはまだまだ距離がある。まずはトラウマに向き合うことでそれを少しでも縮めたいなと思って、私としてはとっても前向きな気持ちで書いたものです。
もちろん重くて暗い内容ですが、なんだかんだ楽しく暮らしている今の私に繋がっていることが、もしかしたら…誰かのためになるかもしれない。
誰かのためにならなくても、自分のために書いたものなので、実は完成した時点で役目を終えているようなものです。

だから「色んな人に読んでみてほしいけれど、誰にも読んでほしくない」という裏腹な恥ずかしい気持ちです。もっと上手に書けたかもと思えて仕方が無いけれど、今の自分の精一杯で、それなりの、等身大の私の思い出作文になったと思います。

 

頒価は500円です。
購入されたい方は、サゴリに問い合わせをお願いします。
メール:sagori.library@gmail.com
電話:090-7137-9576(高雄)

 

このブログについて

 

「交差点に立っている」を覗きに来てくださりありがとうございます。

 

このブログでは、私がフェミニストとして活動する中で学んだこと、考えたこと、興味あるテーマや研究内容についてシェアをする予定です。

 

現在、広島駅近くにある「加納実紀代資料室サゴリ」に通いながら、在日コリアン女性のフェミニズム、日本・アジアの植民地主義、銃後の女性たち、等々のテーマに惹かれつつフェミニズム・女性学全般を勉強中です。


その他日常のこと、政治のこと等、思いつくままに色々と書くかもしれません。

 

「本の感想」コーナーについて。
とにかく読みたい本はたくさんあるのに時間を作るのが下手なので、どんどん読むのだぞ、と自分にプレッシャーをかけるつもりで作りました。ここも、まずはnoteに書いた感想文から引っ張ってこようかなと思います。

 

これまでnoteでぽつぽつ書いていたのですが、前向きに使用したいサービスでは無かったのでずっと移行先を探していました。

中々とっつきにくい内容のブログになるかもしれませんが、まずは自分のために書くというつもりでぼちぼちやっていきます。

 

eriko